痕跡
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花粉症でためらっていたのだが、意を決して庭園美術館に行ってきた。
ここは建物目当てで来る人も多いが、今回は純粋に展示目当てである。しかし、この日は桜が見頃を迎えていたので、どうやら花見の人が多かったようだ。
目当ての展示は「写真」。それも建物の写真ばかりを集めた展示であった。古くは幕末から、現代まで。中には別の展覧会で見かけたものもあるが、切り口が違うと見る角度も違ってくる。
こと幕末から戦前までの写真は、主役の建物以外をじっくりと見る。ごく当たり前であったろう家や道、堀の様子、人の服装などが当時を教えてくれる。昔のドラマなどもそうだが、映像・写真の資料価値というのは凄く高いと思う。
面白かったのは仙台メディアテークの現場から竣工までの写真。現場ですらプロの写真家の手のかかると、こんなに風になるのか、と。ごく当たり前のボルトが、美しいと思える写真はそうそうないと思う。
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酒仲間?の設計した物件を見せていただく。少し前にもオープンルームを開催していたのだが、都合が付かず行かれなかったのでリベンジ!
設計者いわく階高が低いので・・・と言っていたが、狭さや低さは一切感じない。壁面の色が明るい天然素材で統一されているのと、天井の木の色とでメリハリが利いている。
外観写真ではわかりにくいが、リビングと外とを繋ぐ「引き戸付き」デッキが内とも外ともつかず、良い感じだ。
時間を経て周りに家が増えたときにどう見えるか、楽しみなところかもしれない。
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ネットで注文していた本が届いた。
「復刻版 岩波写真文庫 川本三郎セレクション」と「ノルウェーのデザイン」
写真文庫は家の書棚に何冊もあったのは目撃しているが、子供心に「古い写真だなぁ」と思っていた。古い写真=資料と思うようになったのは建築に足を踏み入れてからのこと。今回の復刻版はテーマもダイレクトに「東京」。1950年代の、戦後の色を残す東京の姿が記録されている。
ノルウェーはブームに沸く以前に北欧4カ国を巡って一番気に入った国。10年以上昔の話で、ネットもパソコン通信主流の時代。参考図書は「モダンリビング」のバックナンバーぐらいしかなかったと思う。そんな情報の少ない中で行ってみて、肌に合ったのが彼の国。しかし北欧ブームの中でもあまり取り上げられることがない・・・思っていたら、ようやくインテリアデザインの第一人者の手による本が出た。なんとも心強い限りである。
決して安くはないが、こういう資料性の高い本は買い逃すとあっという間に手に入りにくくなる。買いそびれて、あとあと大変な思いをして探したものが一体どれだけあるか・・・それを言い訳に購入している部分もある(^^;
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再三書いている「建築確認申請」。
「関係ない」と思う向きも多いと思うが、今回の改正で現場が困っているのはそこの所。
家を建てた経験のある方ならお分かりと思うが、姿形のないうちから部材や仕様を決めるのは非常に難しい。一生のうち何度もあるわけでなし。かといってカタログやショウルームだけで全体像を把握しろというのは心もとない。
そんな時、今までだったら、ある程度形が出来上がってから「やっぱりこの仕上げは変えたいわ」とか、「これは最後に決めましょう」なんて事が可能だった。後から「変更手続き」を行えば良かったのである。
それが今回の改正では、間取りや仕上げを変えたら「変更」と見なされて「確認申請の再審査」となってしまう。つまり、変更があれば2度3度と審査を受けなければならない。
この審査、無料ではない。その都度「申請料」を払わなくてはならないのだ。
もちろん再審査の分、時間もかかる。当然、工期も延びる。
求められる書類の分量が増えたとか、システムが変わったことも大きいが、施主(エンドユーザー)に情報がほとんど伝わっていないのを嘆く声もよく聞く。だから、設計者が説明しても「そんなの聞いていない。工期が遅れたら契約違反。」とか「申請料の値上がりなんて知らない。払いたくないよ。」なんて文句が出てきてしまう。
まぁ、経済的方面でもようやく影響が数値で現われてきたので、今後は積極的にPRしていただきたいものである。
というか、このシステムで審査逃れがなくなるか?という疑問がなきにしもあらず。
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さかのぼれば学生時代から、いわゆる建築雑誌がどうにも苦手だった。長い間理由がわからなかったのだが、あるとき「人が写っていない雑誌」とあって、そうかと納得した。
それに反して、必ず人の入った写真を使うのが雑誌「室内」のポリシーだった。連載も実用的で、部分的にコピーをとって自家用の資料にしたものも、未だに手元に残っている。
そのうちに執筆陣が建築関係以外・・・作家やエッセイスト、イラストレーター、写真家と多種多様な人々が出入りしているのに気づき「妙な雑誌だな」と思うようになった。それが編集発行人、山本夏彦氏を意識した最初だったと思う。
コラムニストでもある氏の文章は辛口で、簡潔。しかも「インテリア」の言葉がない時代から続く雑誌なので、日本の室内装飾においては生き証人のようなところがあった。だから氏の訃報を新聞で読んだときには、残念・・・としか言葉がなかった。
昨年からスタートしてようやく東京に巡回した「室内の52年」展はそんなインテリア雑誌の歴史が凝縮された企画展である。個人的に思い入れがあるせいか、狭い会場ながら「よくぞ詰め込んだ」と嬉しくもあった。
写真の展覧会ブックレットは、実は1年前から入手していたもの(^^;
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少々、堅い話で恐縮。
6月20日に建築確認申請の手順が大幅に改正された。昨今の構造不祥事を踏まえての結果である。ニュースでチラと聞いたり、「当然」と思う向きも多いだろう。
しかし現場は混乱している。
施行されたはいいが、具体的な手順が発表されたのが施行とほぼ同時。恐ろしく見切り発車で未だ不明な部分もあると聞く。「構造計算ソフト」なるPCツールもあるにはあるが、今回の指標に完全対応出来るのは秋頃だという話も聞く。
要するに建築確認申請を出したくとも、まず構造事務所が動けない。なので、せっかく動きそうなプロジェクトも凍結状態。経済的に悪循環が生じているのである。
この文章を書くために建築サイトでニュースを見ようと思ったら、開くのが重くて断念した。恐らくアクセスが集中していたのだろう。それくらい、現場は情報を欲している。
行政が定めたこととはいえ、「どうしていいかわからない」と現場にいる設計者に言わせるのはどうだろう。
関係ないと思う方が大半だろうが、そういうことが現在起きているのである。
本当に・・・どうなるのだろう?
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1年に1度は本の整理をするようにしているが、それでも堆積していく。
建築法規などは今年随分と変わるので、その辺りの専門書は心置きなく処分できるが、資料的なものはどうしても捨てがたい。美術展の目録は作品集代わりに眺めているし、雑誌のバックナンバーも未だに愛読している。
これもその一つ。関東以外ではあまり書店に並ばないとは思うが、かのニューヨーカーに対抗して発行している「東京人」。
今のようにお手軽に情報が得られなかったその昔、再開発情報などが載っていたので、何かとレポートに活用させていただいた。学生にとっては少々高価な雑誌だったし、色気もそっけもないが、今でも読むに耐えうる内容と、逆に当時の東京の様子が偲ばれるので処分できない。
写真の創刊号のみ、古本屋で購入(^^; こうやって、日々堆積していくのである。
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学生時代から心酔している「建築探偵」の一派がヨーロッパ進出したと聞いたのは昨年のこと。その凱旋展覧会が行われると知ったのは今年に入ってから。
日ごろは涙を呑んで見送る展覧会が多い中、こればかりは行かなければ!と早々に行ってきた。
「藤森建築と路上観察」展。
考現学的な内容もさることながら、体感できる展示空間の使い方も申し分なく、理屈を抜きにして楽しめる。日ごろ建築と縁がない人、あるいは子供が見ても楽しめるのではないかと思う。
英語表記で「Rojo」となっていた「路上観察」が、「Otaku」のごとく世界語になることを期待する。
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知人宅のリフォームをお願いした設計事務所の、内覧会へ行って来た。
施主の希望をアレコレ詰め込んだという住宅は、自然素材を中心に心地よい空間になっていた。訪れた日は暑かったが、中に入るとひんやりと涼しく、最低限の塗装で仕上げた木材が見た目にも優しい。
動線もしかり、何より目を引くのは高さを強調するための吹き抜けと、それを構成する2階の渡り廊下。子供部屋の小窓もそうだが、住んだら楽しいだろうなと思わせる。事実、施主のお嬢さんたちは二人とも小窓の付いた側を使いたいと主張していたらしい。その気持ち、よくわかる。
外構はこれから手入れするとの事だが、全部が完成したら「素敵な家になるのだろうな」と思わずにはいられない空間であった。
電車の遅れで接続するはずだった乗継ができず、待っている間に駅そばを食べるはめになった以外は、遠足気分で楽しめた内覧会であった。そして写真掲載を許可してくださった環境創作室 杉 さま、ありがとうございました。
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どうやら「建築」という分野は、外国語のような存在らしい。
知人のリフォーム相談に乗っていたら「判らない」を連発されて、それでも一つずつ説明していけばちゃんと理解してもらえる。要は敵(業者)が発する非日常な単語の数々に戸惑っていただけなのだ。
本来であれば用語や構造的な解説は、施主と現場をつなぐ「設計者」が翻訳すべきなのだが、どうやらその「設計者」が機能していなかったらしい。臨時の建築通訳?となり、改めて別の設計者に依頼をしたら、施主もようやく納得してくれた。
こればかりは相性もあるので、なんとも言えないが専門用語を振りかざすのが専門家・・・とはお世辞にも言えない。もちろん、施主に勉強して欲しいこともあるが、リフォームは時間的に難しいこともある。
願わくば、「設計者」がもっと開業医のように身近な存在のなれば、思う。
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特に再開発でできた建築物で感じるのだが、余計な看板を出したくないにしても、サインと動線が悪すぎる。
案内板が遥か遠くにあったり、通り抜けすりゃいいところが行き止まりだったり、周辺地図もあれば便利なのに、そういう情報がまったく見当たらない。
10年位前から感じていたのだが、最近特に感じる。物見遊山で訪れた人は感じないだろうが、急いで目的地にたどり着きたい人には不親切この上ない。しかも最近は地下の活用が多く、空間が平面だけでなく上下にも広がっているのでますますややこしい。
久しぶりに訪れた東京国際フォーラムで、再認識した次第。コンサートは文句なくよかったんだけどねぇ。
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外国人が日本の何をCOOLと感じるか?
サブカルチャーは当たり前だが、意外なところでは「ウォシュレット」が日本的なんだそうだ。あそこまで多機能な便座は他国にはないらしい。最初はビックリするが、使うほどに快適になっていくそうである。
南極にある世界各国の基地でも、トイレをはじめとする暮らし方にはお国柄が出るとか。共通しているのは「環境への配慮」だが、昭和基地の場合、このウォシュレットを採用しているので、多少のことなら洗い流せて紙を使わず環境負荷も少ないらしい。
南極にウォシュレットとは想像しなかったが、ナルホドと思う。
余談ながら、南極昭和基地までは飛行機を乗り継いでも5日。対して宇宙は十数分で行かれる・・・とは南極フォーラムのパネリストの一人、毛利衛氏の言葉。
宇宙より遠いのか・・・南極・・・
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ずっと以前だが、公園のトイレの設計をしたときに「車椅子対応のゆったりトイレが必要です」と言われた。今では「だれでも使えるトイレ」が当たり前だが、当時は既存のものについては、そこまで対応されていなかったように思う。
それから随分と経ったが、最近都心の商業施設のトイレのリフォームするサイクルが早くなったと感じる。
喜ばしいことである。
特にオストメイト対応のトイレを目にすることが多くなった。障害は自分が負ってみなければわからないだろうが、「そのとき」になっても遅いのだと思う。
昨年ポリープを取った直後に、風呂場の手摺がなんともありがたかったのは記憶に新しい。トイレも、きっと人によってはもっと要望が多い分野なのかもしれない。
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昔、マンションの販売担当の方と打ち合わせをしていたときに「どうして夏のほうが居室内の日の当たる時間が短いんですか?」と聞かれたことがある。
確かに計算だけすると、冬のほうが窓面の日照時間が多い。あの弱々しい太陽が、なぜ?と思ったのだろう。
これに関連して建築士問題などでよく出るのが「夏の日当たりは、南の壁面と屋上、どちらが多いか?」というもの。
答えは「屋上」
そう。小学校の理科で習ったと思うが、夏は太陽が昼を頂点に高く上がるため、頭の真上・・・つまり屋上の日当たりが一番良くなるのである。
ゆえに・・・晴天の今日も、マンションながら最上階の我が家の頭上はカンカン照りにさらされているはずである。(写真はエアコンのドレン排水をためているところ。溜まったところでベランダに打ち水をしている)
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「デザイン」と言う言葉が氾濫して久しい。
理屈をつけて「個性的な」形を作るのが「デザイン」である、と解釈されているのだろうか。デコレーションであっても「デザイン」と呼ぶのには賛同しかねる。
必要な機能を足し、不要なものを削ぎ落とした結果生じた形が、「デザイン」である。・・・と、ずっと思ってきたのだがデザイン熱の前では、あまり説得力がなかった。
そんなときにテレビで深澤直人氏のインタビューを見て、ああ、と安堵した。
氏のデザインしたものはずっと気になっていた。ただのシンプルとは違う、見て触って動かしてみると「ああ、そうか。ナルホド。」と、もの凄く納得する形なのである。そのプロセスや考え方は当たり前すぎるほど当たり前で、けれどデザインという言葉に対して抱いていたモヤモヤをスッキリとさせてくれた。
そんなデザイナーが提唱する「スーパーノーマル」展を見てきた。普通であることが美しいのは、それにふさわしい形だからなのだろう。
氏の著書「デザインの輪郭」もお勧め。
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初めての街は地図を片手に足で歩く。商店街だろうが住宅街だろうが歩いてみると、なんとなーく街の流れが見えてくる。古い建物、新しい再開発、空き地や駐車場の陰に色々潜んでいたりする。思いもかけず古くて味のある建物を見つけたり、その土地ならではのものを発見すると、なお嬉しい。
今回、初上陸の宇都宮は餃子の街で有名らしいが、見つけたのはもっと土地柄らしいもの。
都内では塀ぐらいにしか使われない「大谷石」の倉庫や蔵があちこちに隠れていたのである。大都市でありながらやっぱり歴史が潜んでいるようで面白い。
逆にやっぱり画一的な駅前がちょっと残念であった(新幹線の停車駅にありがちといえば・・・ありがち)
写真は「餃子の像」と訪問先で発見した「ライオン」。初めて携帯カメラで撮ったモノ。
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見た瞬間、「とうとう来たか!」と思った。
数年前に主催者の山本夏彦氏が亡くなり、それでもどうにか続けて、押しのある特集を読ませてくれていた雑誌「室内」。
人の写っていない建築写真は使わず、特定のメーカーに媚びることもなく、宣伝はあくまで新聞広告のみ。時には世論に挑戦するような特集を組み「さすが」と唸らせてくれた一方で、新刊案内や、イベントスケジュール表のお世話にどれだけなったことか。
残念。と思う反面、仕方ないのかな。とも思う。
同時に日本の建築が、ますます「評論」不在になっていく危惧を覚える。
軟派な雑誌ばかりがもてはやされる中、それくらい「室内」の価値観はゆるぎなく存在したし、納得ができる説明が常にあった。この雑誌がなくなり、少なくともお金を出して「買いたい」と思う雑誌はなくなった。
どこかでひょこりと、復活してくれる儚い期待をしたいと思う。
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新聞の記事によると、今年のベネチア建築展のテーマは「藤森建築と路上観察」に決定したとのこと。
意図して作られたものではない、街に潜む無意識を取り上げるのは、ある意味、日常の日本を解説するのにはもってこいの素材だと思う。
私自身も随分と街歩きはしてきたが、どこを歩いても飽きることはない。都市部であればあるほど、その街に歴史や変化があればあるほど、不思議なものが残されていたりする。
何故ゆえにこんな姿になったのか?生い立ちを想像するのも楽しい。一緒に歩く人によって、視点が変わるのもまた楽しい。
世界に向けていったいどんな展示をしてくれるのか。楽しみである。
(写真は川越で発見した床屋さん。ここまでダイレクトなのも珍しい)
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東京ステーションギャラリーに行ってきた。
展示内容も素晴らしく良かったのだが、今回どうしても行きたかった理由は当面、このギャラリーとお別れになるからである。
その昔、オープンして間もないギャラリーの、仕上げ材をはがされてむき出しになったレンガ壁の美しさに息を呑んだことは、今でもよく覚えている。取り壊し論争の末に形態保存が決まった後のことだったので、ことさら印象的だった。それから随分経ってステーションホテルに泊まった時も、嬉しくてあちこち写真を撮ったりしたものだ。
そのギャラリーとホテルがこの春から、長い休みに入る。
周知とは思うが、現在の東京駅の姿は本来の姿ではない。3階建てだった駅舎が空襲で壊され、応急的に施された形が現在に至るのである。それを復元するための工事がいよいよ始まるのだ。
ギャラリー部分については、3月5日で現展覧会が終了したらすぐに工事体制に入るとか。再開するのは5年後というから、悲しいようなもどかしいような気持ちも否めない。
けれど保存が決まって以来熱望されてきた「昔の美しい姿」がようやく現実になるのだ。まだまだ先の話だが、ゆっくりじっくり楽しみに待つこととしよう。
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建築的に部材を組み合わせ、形をつくることを「納まり」という。どのような納まり方に仕上げる方設計と現場の腕次第。
決まった回答があるわけではないので、試行錯誤して考えなくてはならない。
考え抜かれ、検討を重ねた納まりは機能的で美しい。それを「デザイン」という。
詳細図、断面図を見れば、設計者がどのようにデザインしたのよくわかる。たとえ手書きであっても必要な情報が盛り込まれている図面は、それだけで存在感がある。
そう思ったのは、筆圧のしっかり残る、実寸の建具の図面を眺めていたときだ。もちろん、仕上がりも綺麗なのだろう(写真でしか見ていないが)。図面を見て空間に身をおきたいと思うのは、よいデザインゆえだと思う。
慌しく足を運んだ「吉村順三建築展」。 (25日まで。東京藝術大学美術館)
モダニズムを継承しつつ、使い手のことを考えた空間がいかに検討を重ねて生まれたのかがよくわかる構成であった。特に矩形図をはじめとする図面は「魅力」の一言。図面好きにはたまらない展覧会であった。
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初めて担当した建物は「公衆トイレ」だった。一人での設計担当・・・とはいえ平屋建て。大した苦労もあるまい、と思ったのが間違いの元。
意匠設計屋にありがちな「カッコイイ」ものを作ろうとすると、どうしても細部が華奢になる。すると構造設計が「これじゃダメ」とごつい梁をガンガン描きこんでくれた。
設備設計と打ち合わせをすれば、これまた設備の塊のような建物ゆえに、こちらが忘れている排水勾配までキッチリと赤入れしてくれる。
「高い研修代」と上司には言われたが、建築に必要な領分を認識することができた。
世間で取り沙汰されている構造設計だけではない。設備や法規、風土や施主、あらゆるものが複雑に絡み合うのが「建築」であるということ。そして作るのは「人」であること。その基本的な部分も認識するべきであると思う。
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お見舞いも含めて足を運ぶ度に思うのだが、どうして総合病院というのは迷いやすくできているのだろう。
病院建築の専門家が見ればそれなりに理にかなった動線計画がなされているのかもしれない。が、それにしても行く度に微妙に変わっていたりするのだから、高齢に達していなくても戸惑うことが多い。
まぁ、検査機械が増え、診療内容が細分化されているから仕方ないのか。
ちなみに一番印象的だった某大学病院は、隣の建物とをつなぐ渡り廊下がどう見ても坂道(^^;古い建物と新しい建物の階高が違うゆえに生じた結果とは判るが・・・なんだか歩きにくかった記憶が残っている。
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残暑の折に息絶えたエアコンを、ようやく取り替えた。
時間がかかったのは値段の折り合いと、不精のせいだけではない。一番の問題は「色」。
リビングなどは白っぽい壁紙、塗装なら普通は問題ないのだが、ことごとくイレギュラーな我が家は「木質」。しかもリフォームの折に塗りなおしてもらって、具合のよい年季の入った色艶が出ているのである。
白いエアコンを設置すれば、目立つこと必至。毎日見るのは耐え難い!
ということでカタログを調べてもらったのだが、10年前には存在した「木目調」の家電が一切姿を消し、若者受けを狙った濃い色or白しかない事実が判明した。
なぁーんでかなー?
結局、「ベージュ」という色で妥協したが・・・白しか壁がないってわけないでしょう!と声を大にして言いたかった。ちなみにリモコンは「白」。ま、この程度は仕方ない、か。
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「遺跡」が好きだ。
子供の頃の化石や土器に始まり、建築を意識するようになってからは古い建物を含めた遺構が気にかかる。
今は再開発が完了した汐留が発掘中だった10年ほど前、新橋停車場の跡を間近で見る機会があった。絵でしか見たことのなかったものが、現実としてあったことに感動を覚え、同時に発掘された切符や薬瓶、レンガの一片に往時を忍んだものだ。
そして今回、新橋の終点である横浜で、昔のレールやレンガをはじめとする数々の発掘品を見て、改めて至福の時間に浸ってきたのである。別の目的のついでであったが見応えがあり、大好きなレンガに触ることもでき、大満足であった。
企画展示「地中に眠る都市の記憶」、12月11日まで。横浜都市開発記念館にて。
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不要になった家具を、リサイクルショップに引き取りに来てもらった。
値が付くほどではないが引き取ってくれるというので、ホッとしたところで聞いた話。
ちょっと前に流行した家具などは、同じテイストのモノが同じように出されるので、店に出してもまず売れないそうな。かねがね日本のインテリアは洋服の流行と同じで底が浅いと感じていただけに「ナルホド」と頷く。
インテリアが「ブーム」といっても雑誌は所詮カタログ的。モノを揃えるための特集であって、本質的に「空間」を作るための特集でないことが多い。日本における空間教育が欠如しているのは以前から感じているので、いきなり「構成しろ」というのは無理な話なのだろう。だけど「消費」するのは簡単、という図式。
ついでに、まず売れない、だけど「引き取って欲しい!」不用品の第1位は「健康器具&マッサージチェア」だそうな(^^;
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雑誌・室内の特集「今こそジャパニーズモダン」がよかった。
デザインブームと言われながら表層的な「モノ」の紹介でしかない他誌に比べて、作家の歴史を紐解くところが、さすが室内。
戦後から今に到るまで定番であり続けるモノたちは、きちんとした理由を得て形造られている物が多い。昨今の「ちょっとカッコイイでしょ?作ってみたんだけど・・・」なんて適当な理由から生じた形ではない。機能性能、材料の特性を吟味して生み出された形。
ゆえに「デザイン」であり普遍的なのだ。
椅子などは材料の開発史と平行していると言っても過言ではない。そういう意味で、今回の特集はデザイナーの方々が何を使って、どう造ってきたかを知る手がかりになる。
興味がある方はぜひ御一読を。
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雑誌「室内」を購入。
前編集代表人の山本夏彦氏亡き後、今ひとつ勢いが感じられなかったが、今回は久しぶりに手応えのある記事が多し。
本当の意味でのインテリアを「設計し作る」ための情報、そして建築とは関係なさそうな文学者や作家のコラムが掲載されている内容は、一見不協和音のようだが、専門性と息抜きのリズムがあって、読んでいて疲れさせない。
なにより、今月号の万博に関する記事のように、世間に媚びない記事を載せているのが嬉しい。特集記事で、モノづくりの現場の声を掲載しているのも読み応えがある。カッコイイ写真とキャプションで流行の表面をなでるより、はるか迫力と魅力を感じられる。
日本のデザイン批評の弱体化が聞こえてくる中、息長く続いて欲しい雑誌である。
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オペラシティ・ギャラリーで開催中の「谷口吉生 展」に行った。
学生時代「資生堂アートミュージアム」のプランに惹きつけられ、その後「東山魁夷美術館」の絵と空間の構成にノックアウトされ、「法隆寺宝物殿」が竣工してからは上野に通うようになった今。
改めて並んだ模型を見ると、モダニズムの流れの中にあって、和風を消化して取り入れる手法が、なんとも馴染みやすく居心地のよい空間を作り出しているのがわかる。
新生MOMAも、会場に並べられた図面をめくって詳細図を辿っていたら出来上がったものを見てみたくなってしまった。
どうやら設計屋に図面は鬼門のようだ。
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初めて日比谷公園の野外音楽堂に行った。こういう屋外施設は普段見る機会がないので、どうにも施設そのものを見てしまう。
・・・ベンチの微妙な段差が気にかかるとか、裏はどうなってるのかなぁ・・・なんて職業病のようなもの。
キッチリ囲われているのは気にかかるが、施設の性質上仕方ないのだろう。天候さえ演出になってしまうあたりが面白い空間。
もちろん、本命のDEPAPEPEさんのギター演奏も堪能(^^
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間取りは大切だが、もっと大切なのは「高さ」である。
住宅であれば天井裏、床下には設備配管が施されている。オフィスだったら電源の配線も必要になるだろう。構造材を隠すための余裕も必要だ。もちろん、それぞれに計算された寸法が必要なわけで、そうすると逆に居住スペースはどれくらいの天井高さがとれるのか?という考えが生じてくる。
これが「設計」の考え方。一番最初にスケッチをして、検討しなければならない。
情報量が多いせいか、ページを開いただけで素通りする人も多いのも事実。自宅新築中の現場を見せてくれた友人も、じっくりは見ていなかったようである。
「この図面、なんて読むでしょう?」と聞いたら首をかしげていた。
まぁ・・・仕方ないのか。
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マンションの「内覧会」に同行してきた。
購入者が引渡し前に行うチェック・タイムである。
実は同じような作業は過去にもやったことがあるのだが、設計事務所の手先だったので「竣工検査」という名目だった。
「内覧会」は初めての経験。
作業的には今までと同じなのに、立場が違うというのは不思議なもの。なるほど、こういうものかと感心することもあった。
しかし案内にあった「30分~1時間」という目安はどう考えても短すぎる。
先方の都合だとは思うが、30分で納得する人があるとは思えない。
事実、大きな不備はなかったが、1時間かけて細かく見れば「ここ、ちょっと・・・」と思う箇所はいくつかあった。
まぁ、こと細かな傷まで持ち出すようなクレーマーも困るけど・・・もう少しユーザー配慮も欲しいところである。
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考えたことを言葉に変えて説明するのは難しい。まして視覚に訴えるもの、漫然と思うことについて語るのは本当に難しい。
だから昨夜のセミナーで講師が並べたキィワードが実に明瞭で、なるほどプロとはこういうことか、と唸ったものである。再開発も含めた最近の建築ってどうなんだろう?と懐疑的ではあった考えが、「やっぱりね」という確信になった。
一言で言えば、「建築」という「言語」が乱れてきている。それも、相当に。
そもそも「デジタルアーキテクト」に対して「リアルアーキテクト」なんて言葉が出てくること自体、今までの建築の概念ではない。
自分の中の情報量が少なすぎて上手くまとめられないが、要するに有意義なセミナーであった・・・ということ。世田谷区でこんな催しをしているとは(連続セミナー 暮らしとデザイン)・・・今まで気がつかなかったのが残念。
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友人夫婦の設計事務所が担当している現場を見せてもらう。
入れ物ができて、部屋の形ができて、これから内装・・・というところ。
壁や塗装の色が入っていない分、「空間」そのものの雰囲気がよくわかる。
図面でも想像はつくが、実物を見ると広さ、高さ、こまかいコダワリが見えて面白い。
たとえば手摺ひとつにしても、どう付けるかは設計・施工によって当然変わる。「これが正解」なんてないのが設計の面白さ(なんてったってオーダーメイド!)
今回は変形、狭小で随分苦労したようだが、その分、合理的で面白い空間になりつつある模様。完成が愉しみ。
そして、やっぱり現場は面白い!
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松戸市立博物館で「剣持勇とその世界 展」を見る。
イームズ・チェアや柳宗理デザインがファッションアイテムのように流行している中、「ようやく」開催された感がある。まだ日本に「インテリア」という言葉がなかった時代に、空間のみならずプロダクトデザインまでも手がけたパイオニア。
「こんなの作っちゃいました」ではなく「機能があり形がある」本当のデザインを施されたモノたちは、40年以上経った今でも充分に美しく新鮮さを失っていない。
規模は控えめの作品展だが、久しぶりに良いものを堪能した満足感がある。
とにかく思うことがありすぎて、書くのは控えめになってしまうのがもどかしい。
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切り抜いておいた新聞記事を読み返していたら「自分だけの世界」を作ろうとする建築についてのコメントがあった。
実は私も気になっていたところ。
特に最近の若い家族をターゲットにした「狭小住宅」を特集した本を見ると、必ず何軒か掲載されている。外に対しては塀やルーバーを張り巡らし、中庭やデッキを充実させている間取りと思っていただければよい。
こんな時代だから自己防衛も必要ではあるが、逆に家の中に「死角」を作っているように感じてしまう。
何よりそこまで街、あるいは近隣を否定するのはどうだろう?
実際に街を歩いて、そういう家に出会うと見るのさえ拒絶されたようで身構えてしまう。
「見て見ないふり」をするのが紙と木で作られた日本家屋の特徴であり、何かあれば気配を聞きつけて手助けもできた。それが疎ましい時代になってしまったのだろうか。
何より住宅は個人のものだけれど、街の一部である。そのことを認識している人が少ないのかもしれない。
やはり、これも難しい問題なのだ。
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